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【画像】渡邊雄太の家族まとめ!両親も姉も身長170㎝越えのバスケ一家!

バスケットボール選手の渡邊雄太さんの家族は、全員がバスケ選手という生粋のバスケ一家。

父親も母親も姉も全員が身長170㎝越えという、迫力満点の家族なんです。

今回の記事では、渡邊雄太さんの家族について詳しく取り上げていきたいと思います!

渡邊雄太の家族構成

渡邊雄太さんの家族構成がこちら。

  • 父親:英幸
  • 母親:久美
  • 姉:夕貴
  • 渡邊雄太

渡邊雄太さんの家族を1人1人詳しくご紹介していきます。

渡邊雄太の父親:英幸

名前:渡邊英幸

生年月日:1958年9月28日

年齢:62歳(2021年7月時点)

渡邊雄太さんの父親は英幸さんという名前です。

父親の英幸さんのバスケ選手時代を見ていきましょう。

父親のバスケ選手時代

渡邊雄太さんの父親は、大手ゼネコン会社「熊谷組」の実業団「熊谷ブルーインズ」に所属していたバスケ選手。

英幸さんは息子と同じスモールフォワードというポジションで9年間プレーしていました。

1952年に創部された「熊谷ブルーインズ」は、1968年には「第1回全日本実業団競技大会」で優勝した実力チーム!

1969年に日本リーグに昇格し、1990年、92年には日本リーグで優勝しています。

そして1992年にオールジャパン優勝したものの、1994年に休部になってしまいました。

バスケに厳しかった父親

父親の英幸さんの背中を見て育った渡邊雄太さん。

雄太さんが2歳の時に家の小さなリングにシュートしてみたことがありました。

その時に、2歳だった雄太さんのフォームが綺麗で感動したんだそう。

シュートを教えたことはなかったので、ああ、子どもって親を見ているんだな、僕のシュートフォームをしっかり見ていたんだなと思った瞬間でした。その時はバスケをやってくれたらいいなぁと思いましたね。

日刊スポーツ

父親は教えたことはなかったそうですが、雄太さんは幼い頃から父親のフォームを見て学んでいたんですね。

バスケを上手くなりたいという雄太さんと父親も一緒に朝早くから練習していたんだとか。

朝の5時半に起きて、近くの小学校で、毎朝6時から1時間、朝練をしようということに。雨の日以外は、ほぼ毎日続けました。よほどバスケが好きだったのか、雄太から『今日休みたい』というような泣き言は、一切聞きませんでしたね」(英幸さん)

女性自身

息子のバスケを支え続けた父親ですが、時には厳しい言葉をかけることも。

小6だった雄太さんが下級生のバスケ未経験の子たちとゲームをした時、上手く出来ない下級生たちにあきれたような顔をしてしまったんだそう。

そんな雄太さんの態度に怒った父親の英幸さん。

その下級生に対して雄太が「何だおまえは」みたいな顔をしたので、私が物凄く怒ったんですよ「この4年生たちがいなければ、人数の関係で、お前は試合にさえ出場できていない! この子がボールを取られたら、なぜおまえがヘルプをしてやらないんだ!! 」って。

yahooニュース

英幸さんは技術面だけでなく、気持ちや礼儀も教えていったんですね。

そんな優しくて厳しい父親のことを尊敬しているという雄太さん。

雄太さんのマナーや選手としての謙虚な振る舞いは、父親からもらったものが多いのかもしれませんね。

父親の現在の職業は?

渡邊雄太さんの父親は、現在営業職として働いているのかもしれません。

2021年4月24日の『yahooニュース』で、「私自身、営業なので」と語っていた英幸さん。

私自身、営業なので、人様に会って話して、ナンボの世界です。けんもほろろに断られる時もありますが、きちんと対応して頂くと、それだけで嬉しくなります。

yahooニュース

バスケ選手を引退後、営業職に転向したのかもしれませんね。

渡邊雄太さんの父親は話すことが好きだそうなので、営業職に向いていそう!

渡邊雄太の母親:久美

  • 名前:久保田(旧姓)久美  
  • 生年月日:1961年10月30日
  • 年齢:59歳(2021年7月時点)

渡邊雄太さんの母親は、久保田久美(旧姓)といいます。

久美さんは枚方市立津田中学校、甲子園学院高校に通い、バスケ一筋の人生を歩んでいました。

母親のバスケ選手時代

甲子園学院高校時代に、全国高校総体で準優勝した雄太さんの母親。

その後、実業団「シャンソン化粧品」に所属し、バスケ選手として大活躍していました。

渡邊雄太の母親のバスケ戦歴
  • 1982年:アジア競技大会 3位
  • 1983年:世界選手権に出場
  • 1983年:女子世界選手権 12位
  • 1986年:アジア競技大会 4位

バスケ女子日本代表のキャプテンに選ばれるほどの実力者で、1985-86シーズンでは日本リーグMVPに輝きました。

渡邊雄太さんの母親は、バスケ界でスター選手だったんですね!

渡邊雄太がバスケを始めたきっかけは母親

渡邊雄太さんがバスケを始めたきっかけは、母親でした。

バスケ選手現役を引退し、結婚した母親の久美さん。

久美さんは引っ越し先の香川県三木町で、三木スポーツ少年団からバスケコーチの頼まれることに。

久美さんが指導する三木スポーツ少年団を見に行っていた雄太さんは、いつの間にかボールを触っていたんだそう。

雄太は小学1年でバスケットを始めました。全日本のキャプテンだった家内がミニバスの指導をしていて、幼稚園の頃から体育館に練習を見に行っていたんです。女房に付いて行って、ボールを触って遊んでいるうちに自分もやりたくなったんですね。

yahooニュース

気が付いたらボールを触っていて、自分もバスケがしたくなったんですね。

そして、小学校2年、3年の時にNBAのコービー・ブライアント選手を見て「ぼくもあんなふうになりたい。NBAに行きたい」と言った雄太さん。

雄太さんの真剣な想いに、母親の久美さんも真剣に向き合いました。

練習中、チームでダラけているときは『やりたくなかったら、帰れ!』って。よそのお子さんに手を出すことはできないから、雄太を突き飛ばしたりしていました。相変わらず泣き虫でしたが、涙ながらに『やります』と立ち上がっていましたね」(久美さん)

女性自身

息子を厳しく指導していた久美さん。

しかし厳しいだけではなく、いつでも雄太さんの傍で支えていました。

Yuta Watanabe 渡邊 雄太@wacchi1013小さい頃からいつもシューティングを手伝ってくれる親。毎年成長した姿を見せれてるかなー 撮影者は姉です

子供の頃は何回も怒られたという雄太さんですが、一番応援しているのは他でもない雄太さんの両親。

海外で活躍する雄太さんも、両親からの連絡はとても嬉しいのではないでしょうか。

炎上した過去

渡邊雄太さんの母親は、Twitterで炎上してしまったことがありました。

どうやら、母親の久美さんが息子の応援ツイートをたくさんしていたところ、アンチに絡まれてしまったよう。

「親バカ」や「気持ち悪い」と言ってくる人もいたようですね。

親が自分の息子を応援することの何がおかしいのでしょうか…?

その結果、久美さんはツイートを全部消してしまい、現在では関連ツイートは残っていません。

渡邊雄太の姉:夕貴

出典:Wikipedia
  • 名前:渡邊夕貴 
  • 生年月日:1993年1月8日
  • 年齢:28歳(2021年7月時点)

渡邊雄太さんの姉の名前は夕貴さん。

弟の雄太さんとは1歳しか違いません。

姉のバスケ選手時代

渡邊雄太さんの姉ももちろんバスケ選手!

こちらが夕貴さんのバスケ戦歴。

渡邊雄太の姉のバスケ戦歴
  1. 中学時代:都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会でベスト8
  2. 高校時代:ウィンターカップでベスト8
  3. 2011年:デンソー戦でWJBL公式戦出場

小学生でミニバスを始めた姉は、2011年にアイシンAWに所属し、2011年11月6日に公式戦デビューしています。

しかし、2013-14シーズンで現役を引退。

ちなみに、ポジションはガードフォワードでした。

姉と渡邊雄太のエピソード

1歳しか年が違わない雄太さんと姉は、家でも「ケンカするほど仲が良い」関係のようです。

確かに、身長がとてつもなく高い雄太さんが寝転がっていたら邪魔かもしれません..笑。

バスケ界のスターが、家では姉に怒られていると想像すると可愛いですね。

渡邊雄太の家族の身長が高すぎ!

家族全員がバスケ選手の渡邊一家は、やっぱり身長が全員高いんです!

  • 父親:190㎝
  • 母親:177㎝
  • 姉:170㎝
  • 渡邊雄太:206㎝

全員が170㎝を超えている家族は、なかなかいないのではないでしょうか。

2mを超えている雄太さんですが、雄太さんが高身長になったのも分かりますね。

実際に渡邊家に会ったことがある人からも、「背が大きかった」と言われています。

https://twitter.com/minapon516/status/1412785478286249987?s=20

実際に渡邊雄太さん家族4人が並んでいるところに遭遇したら、圧が凄そうです。

普段はなかなか4人全員揃えないという渡邊雄太さん。

家族全員が別の場所で生活しているので、会う機会は少ないのかも。

しかし家族全員がバスケ選手だったので、渡邊雄太さんの良き相談相手でもあり、一番の応援者なのではないでしょうか。